時々、目を閉じて考えながら話す。作詞家、放送作家、プロデューサー、いくつもの肩書きを持つ秋元康氏の口調は、穏やかだった。敏腕なイメージとは違う。今、話題のAKB48について、いろいろ話を伺った。
―――秋葉原に専用劇場を持つAKB48は、どういうきっかけで誕生したんでしょう?
秋元 構想は、何年も前からありました。ずっと、テレビの仕事をして来たので、画面を通してではなく、観客がわざわざ足を運んでくれる小劇団やロックバンドに嫉妬のようなものを感じていました。テレビは、スイッチを入れるだけで観ることができますが、小劇団やロックバンドの公演は、時間とお金をかけるわけですから。10人が20人、20人が40人、40人が80人…というように、観客が増えてゆく、リピーターの多い「刺さるコンテンツ」に興味があったんですね。初めは、僕なりの小劇団を作ろうと思ったんですけど、毎日、公演をやりたいなと思って…。歌とダンスを観せるレビューのようなものにしようと、行きついたのが「会いに行けるアイドル」というコンセプトでした。
アイドルになる過程をドキュメンタリーに
AKBを生んだ秋元康さん
秋元 初めは、劇場を渋谷か原宿か青山に作ろうと思って探したんですが、いい場所がなくて…。ちょうど、その頃、秋葉原が注目されていて、「発信基地として、秋葉原も面白いかも…」ということになり、スタッフがドン・キホーテの8階を見つけて来たんです。
―――NHK「仕事学のすすめ」で、あえてリサーチしない発想法を語っていらっしゃいましたが・・・。
秋元 そうですね。秋葉原のことも、全く、リサーチしませんでした。むしろ、「秋葉原で、日曜日にグラビアアイドルのイベントをやっても100人も集まらないんだから、毎日、公演するなんて無理ですよ」と、みんなに反対されました。だから、面白いと思ったんです。みんなが行く野原には、野イチゴはありませんから。「あそこに行っても、野イチゴはないよ」と言われる場所こそに、野イチゴはあるんです。
―――公演は、歌とダンスのセットリスト以外は、できるだけ作り込まないようにしたそうですね?
秋元 はい。エンターテインメントの基本は、「予定調和を壊すこと」にあると思っていますので。AKB48のメンバーが、曲と曲の間で、だらだら話すのを観て、「秋元さんが台本を書いたら?」とアドバイスされましたが、それでは、当たり前のステージになってしまうと思ったんです。だから、アドバイスはしても、台本を書くことはしませんでした。MCが下手なのを、そのまま、観せたいと思ったんです。言葉が詰まったり、白けたり、泣きだしたり…。その日しか観られないステージにこだわっていました。例えば、ある日、メンバーが足を捻挫したことがありました。「痛みはなくなったらしいのですが、大事を取って休ませたい」とスタッフが言うので、そのメンバーに僕が聞きました。「椅子に座って、歌うことはできるか?」と…。メンバーは、「そうできるなら、出たいです」と言いました。結局、椅子に座って歌ったんですが、そんな彼女を観ることができたのは、その日に入場したお客様だけです。ライブというのは、同じセットリストでも、毎日、違うんだということを示したかったんですね。
―――ハプニングであり、サプライズですね?
秋元 決して、綺麗ごとではなく、AKB48というのは、ファンのみなさんと二人三脚で作り上げて来たものです。「パーティーが始まるよ」公演の最後の曲「桜の花びらたち」で、紙吹雪が降って来るという演出があるんですが、アンコールの暗転の中で、スタッフがステージ上に落ちた紙吹雪を掃除する段取りになっているんですね。ある時、舞台の袖で観ていたら、客席から、「モップ!モップ!モップ!」とコールが起こったんです。つまり、掃除が終われば、メンバーが登場してアンコールが始まるので、それをコールにしたわけです。この演出ではない、自然発生的なものがライブの面白さだと思うんです。
おニャン子は、テレビが生んだアイドル
―――AKB48が社会現象になるほどのブームになった要因はなんだと思いますか?
秋元 う~ん…。ゆっくり、時間をかけたことですかねえ。ブレークまで4年半、かかっていますから。少しずつ少しずつ、ファンが増えたんでしょう。「刺さるコンテンツ」になったんだと思いますよ。大切なのは、「ガチ」だということじゃないですか?予定調和ではなく、本当に、普通の女の子がアイドルになってゆく過程を、編集なしで観せたドキュメンタリーですから。AKB48は、4年半、ドキュメンタリーを提供し続けているんだと思います。高校球児に近いです。秋葉原にできた無名の高校の野球部が、野球経験もない部員を集めて、一生懸命練習して、予選を勝ち抜き、甲子園に出場し、何回かの挑戦の後、優勝したというような…。地元の応援団のように、ファンのみなさんと喜び合えるのがAKB48ですね。
―――おニャン子クラブやモーニング娘。とは、どこが違うんでしょう?
秋元 おニャン子クラブは、テレビから生まれたアイドルです。素人がアイドルのように歌を歌うのが新鮮でした。まるで、女子高の部活のようでした。ファンは、放課後の部活を女子高の金網越しに観ていたんですね。「新田恵理ちゃんは、中間テストのためにお休みです」という報告がリアルでした。それまで、アイドルは仕事優先でしたから。視聴者の身近な存在だったんです。さらに、進化したのが、モーニング娘。です。つんく♂がミュージシャンなので、音楽のクオリティーが高いです。みんな、可愛い上に、歌やダンスが巧いことに驚きました。つまり、おニャン子クラブは、普通の女の子をそのままを観せましたが、モーニング娘。は、厳選した女の子にさらにレッスンさせて、プロにしたということでしょうか。AKB48は、そのプロセスを観せるアイドルということです。
―――AKB48は、恋愛禁止なんですか?どういう場合に解雇になるんですか?
秋元 恋愛と仕事のどちらを取るか、ということです。たとえば、甲子園を夢見ていたら、恋愛なんてできないと思うんですよね。恋愛に割く時間があったら、練習した方がいいでしょ?AKB48というのは、教育の場でもあります。未成年の場合は、特に厳しいです。学校の退学処分と同じような基準でしょうか?メンバーは、マネージャーやスタッフに通信簿がつけられます。歌やダンスの成績以上に、生活態度が採点されます。僕がこのメンバーを「こうしたい」と言っても、マネージャーやスタッフから、生活態度で反対されることもあります。でも、それはメンバーが必ずしも悪いわけではなくて、そのコにとって「校風に合わない」ということかもしれません。転校したら、ぐんと成長したなんていうコもいるでしょうね。
台湾、ロシア…いろいろな国からオファー
―――名古屋のSKE48、大阪のNMB48、この先も、劇場は広がって行きますか?
秋元 「会いに行けるアイドル」がコンセプトですから。地元の野球チーム、東京だったら、読売ジャイアンツとか、名古屋だったら、中日ドラゴンズとか、大阪だったら、阪神タイガースを応援するように、いろいろなチームを作りたいですね。
―――メンバーが20歳以上のSDN48も、メジャーデビューするんですよね?
秋元 「アイドルは若くないとだめだ」という定説を覆したいからです。なんか、年上のアイドルの時代が来るような気がするんですよね。
―――海外進出も考えていらっしゃるんですよね?
秋元 面白そうじゃないですか?どこまで、世界に通用するのか…。野茂選手がメジャーリーグに行くと行った時も、みんな、半信半疑だったでしょう?でも、今、イチローを始め、多くの日本の選手がメジャーリーグで活躍するようになりましたよね。そんな夢を見ています。台湾、ロシア、中国、韓国、アメリカ、イタリア…いろいろな国からオファーが来ていますが、どうですかねえ。歌もダンスも、世界に通用するレベルではないんですけど、みんな、AKB48が持っている不思議なエネルギーに魅了されるんです。
―――これからのAKB48は?
秋元 どうなるんでしょうね。何も決めていません。僕が予定を立ててしまったら、それこそ、予定調和になってゆきますから。どうであれ、「ガチ」を観せ続けたいと思います。たとえば、「21日のじゃんけん選抜、どうなるんだろう?」と、結果がわからないものを、時代は求めているんですよ。
【秋元康氏のプロフィール】
1956年、東京生まれ。高校時代から放送作家として活躍し、「ザ・ベストテン」「オールナイトフジ」「とんねるずのみなさんのおかげでした」など手がける。また、作詞家として、美空ひばり「川の流れのように」を始め、数々のヒット曲を生む。2008年、ジェロの「海雪」で、日本作詩大賞受賞。京都造形芸術大学副学長。日本放送作家協会理事長。
1956年、東京生まれ。高校時代から放送作家として活躍し、「ザ・ベストテン」「オールナイトフジ」「とんねるずのみなさんのおかげでした」など手がける。また、作詞家として、美空ひばり「川の流れのように」を始め、数々のヒット曲を生む。2008年、ジェロの「海雪」で、日本作詩大賞受賞。京都造形芸術大学副学長。日本放送作家協会理事長。
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